
マイ ストーリー
最初に!
マイストーリー(自分史)について書いていきたいと思います。
明日亡くなるとして、走馬灯が見えるならどうなるのだろうという観点で

「最初の記憶」
幼少期のを語る上で欠かせないかなと思うのが「一番古い記憶」です。
人によっては、小学校2年からしか覚えてない、胎児の記憶があるなど時間軸が様々かなと思います。
記憶に仕方としても、視覚的情報がある、体感覚がある、臭いが鮮明に蘇るなど
ここにも個体差があります。
表現をする人にとって、一番古い記憶って鍵だと思っていてコンサルとかで毎回聞くようにしてます。
「吉田の最初の記憶」
・日時:5歳くらい
・場所 :親戚(父方の祖父)の家周辺
・発生原因:5歳の吉田はお葬式にも係らず、ここ一番のテンションで騒ぐ
・発生状況 : 粛々と通夜をスムーズに進めないといけない状況
・その後の状況:母方の祖母怒られて、近くの海辺に放置されそうになる
・反省点:空気を読め
海辺においていかれる恐怖
さて、あなたの一番古い記憶は何ですか?
公立の小学校へ入学
夏休みの宿題という苦痛
8/31になると毎年感じるのですが、宿題が終わらない悪夢をいつも体感します。
期限までに終わらない恐怖
部活
塾
謎の人間関係
校則
修学旅行
ゲーム
自己肯定感
将来
胃潰瘍
指定校推薦
理系
洋服
うつ
不器用さ
離脱

<マイ・ストーリー>
茨城県日立市に生まれる。
幼少のころから、体の線が細くて
女の子みたいと言われる。
身体も性格も繊細で
小さな違いに身体が反応する体質だった。
困ったことや不安なことがあるとすぐ顔にでて
周りの人に心配される。
5歳くらいから 色、服が好きだった。
折り紙は折るのではなく色で遊ぶかんじ。
幼稚園のときの合宿でもっていく服を選ぶときに
柄はひとつにしなさいと言われたのが印象的。
地元の公立の小学校に通い始める。
いろいろな文房具を集めるのが好きで、
みているだけでワクワクした。
機能的な服を親戚からもらうことが多く
ちょっと変わった服?をポイントで取り入れるのは
このときからのくせ。
レゴで建物や車みたいなのを
作っては壊しつくっては壊しを繰り返し
満足すること無くストイックに追求し続ける。
算数がなんとなくできてしまい、
どーせ暇だからと解き方を何通りも解答用紙に書き提出する。
中学進学について 中学受験を勧められるが
セルフイメージに低さと家庭環境的にないな
と勝手に思い込み、地元の中学に進学する。
中学では
野球がやりたいなと思い、野球部を希望するが
あいかわらず線が細く 体力もないので周りには反対される。
でも結局、振り切って入部する。
意外と高校までやる。
1年の時に、丸坊主を味わい、
きった翌日学校に行きたくなくなる。
体育会系の縦社会で、すごく先輩風を吹かせる人がいて。。。
「なんで誕生日が数日違うだけでこんな思いをするのだろう?」
と疑問を持ち、
自分の代になったらやめようと思い、実行する。
年齢とか関係なく仲良くなりたいという思いがいっそう芽生ええる。
中学2~3年にかけて、人間関係のいざこざに巻き込まれ
多少のいじめも経験する。学校とか塾にいきたくなくなる。
でもなんとなくのりきる。
いじめられる側の気持ちに敏感になる。
高校受験をして
地元の県立高校に進学する。
県で2つしかない私服の高校で
やたら意識をそこに使う。
ただおしゃれな服が着たかったが
買えるお店もお金もなくもんもんとする
大型チェーン店しかないかんじ
体型は細いのに 服はぶかぶかみたいな
サイズ感の大切さを痛感する。
さりげなく買った鞄とかが意外に好評だったりして
自分の中で違和感を感じた
ただ 限られた中での「選ぶセンス」についてと
「少ない服で回す」という考えがこのときに身につく。
雰囲気も大学っぽいかんじで
結構自由に登校したり、下校したりする。
担任も同じ高校出身のためその辺を多めにみてくれる人だった。
やたら、イベント毎(テスト、文化祭などなんでも)に
打ち上げする風潮でよく海辺などでワイワイやる
ホント大学生みたい。
高3になり 一応進学校なので受験を勧められる。
特にやりたいこともわからなくて
ちょうど世紀末だったこともあり
「なんとために生きているのか?」
「自分はどこにいくのか?」
など、うつうつと考え始める。
相変わらずテストでは適当に点をとるが
授業は教室から見える海を眺めながら
ほとんど 妄想しているか 自分の内観をし始める。
特になにかをしたいという思いもなく
理系科目ができただけということと
物心ついたころから田舎がつまらなくて
東京になんとかでたいため
得意でもないが理系科目を使って
大学にいくという口実で都内の理系の大学を受験、合格する。
周りが必死で受験勉強していた中
特になにもしないで大学生になってしまう。
東京の大学に通い始めるため
都内で初めて一人暮らしを始める。
特に興味がないのに通ったので
必修の通信工学がおそろしくつまらなく
一般教養を心理学で埋め尽くし ゼミまで取る。
心理学のゼミの教授と仲良くなる。
1対1で話す時間などもあり、ヒントを貰ったりして
自分との対話の時間を多くとるようになる。
部屋の内装に凝りだし、
自由が丘、代官山、下北、吉祥寺などの雑貨・インテリアショップ巡り
同様に田舎にはなかった 服屋巡りに陥る
服と雑貨のためにバイト代はほとんど使った気がする
計算間違えてリアル一万円生活を送ったりする
新しい服や雑貨やインテリアを
田舎にいたときとは考えられないくらいの量のなかから
自分で選択でき、身につけられることが
すごくすごく嬉しかった。
このとき得たワクワクをとても大切にしたい。と今も感じている。
理系のため、自分が服にお金をかけるのが理解されてないことも多く
ラインのきれいなジャケットより
ハイスペックなパソコンが注目されるかんじ
そんななかでも大学では 服にまだ興味がある人と付き合う
そんなこんなで街を歩いていたら
スナップ写真にとられたりする
自分の好きな曲を好きといっただけで
DJ的なものをやったりもする。
よくわからないけど想像を超えた経験したことないことが起こる
好きなことをしてワクワクして過ごすと
予想外のことが起こるのだと体感する。
大学3、4年になり就職活動する。
大嫌いなおそろいの戦闘服みたいなスーツ着て、
吐き気がする中で面接などにいく。
就活スーツみたいなみんな同じな感じの服が
もう耐えられないのを覚えている
スーツから解放されたい病
そして、自分の未来がそこに描けなくて。
唯々、つらいだけ。
面接のための、作り笑顔はどんどんこわばっていく。
でもでも、
200社くらいいろんな会社を訪問したり、
なんとなく理系だからという理由でSE系を受けて、
なんとかかんとかSEの内定を取る。
また同時に卒業研究の担当の教授の勧めで
大学院を受験し、よくわからず合格する。
ただこのときに
自分を押し殺して行動していた無理がたたり
体調を崩す。
そして、
単純に好きなこと、やりたいことだけに
フォーカスして生活する。
やっぱり、自分はやはり色と服が好きだ!と感じて
服飾の専門学校にいくことを決める。
自分で好きなことを初めて選択したかんじだった。
体調と相談しながらも
好きな事をしていて大学に行っていたころとは
比べ物にならないくらい充実感
ファッションショーをやり
自分でデザインがからパターンを起こして
モデルさんに衣装を着てもらい演出込みでのショーをやる
でもなぜか、急に
1年半立ったところで再悪化
医者にも休みなさいと言われる
学校を休学したかったが制度がなかったため、中途退学をする。
半年くらい完全休業 並行して治療
自分の選んだ道が 終わってしまった感
自分の人生がなんなのか わからなくなる。
それでも。
たまたま路上で声をかけられて
TVとか雑誌とか映画とかのモデルとかエキストラ、スタンドインをやる。
他にもその間いろんな職種、業種のバイト色々をしながら過ごす。
自分に自信をつけるために
大学の時に家庭教師をやっていたので
個別指導の塾講師を3年くらいやる
小学3年から高校3年まで 受験生も
なぜか担当する相手は8:2で女の子ばっかりで
兄弟の親御さんからご指名を頂くこともあった
特に女の子と話していても違和感がなくて
このときに自分は草食系なんだなぁ~と自覚する。
でもなんか闇の期間ってかんじ
感情も想いも全て封印で仕事ってかんじ
やりたいことではなく、
そのときにできることを選択したからだけど
ストレスをお金に変えて生きている感じ
塾講師だったけど
慣れてきたらほぼスーツでなく
私服で先生っぽいかんじをコーディネートして仕事をしていた。
ちゃんと成果はだしていたので、特になにもなく。
意外と個性として受け入れられる。
その後、なんとか現状を変えたい!
もっと個人の人の人生に細かく関わって行きたい!いう思い
と塾での働いている人間の扱い方に疑問を持ち、
働く人も大切にして関わる人も大切にするNPOに興味を持つ。
面接のときに、
そこで働いている人のキラキラの人間性に魅了されたことと
ご縁があったこともあり働き始める。
障害者雇用支援のNPOだった。
NPOでの働き方とそこで働いている人
一人一人の人生の全受容し、活かしていく姿勢に魅了された。
最初は雇用支援者としての経験を積むために
障害者の訓練所、作業所の手伝いから始める。
3ヶ月くらいはうまくいったが、
作業内容(リサイクル工場)と夏は40度の中での作業ということもあり、
熱中症になりながらもバランスを取りながら続ける。
でも、最終的にハードすぎて腰と足を痛めて、
歩行困難になり、歩けなくなる。
病院で検査をしても、
原因が不明でどうしたらよいかわからなくなる。
西洋医学ではわからないことばかりなので
東洋医学やレイキを学ぶ。
寝たきりで特にリハビリ以外なにもできないので
本田健さんやマーケティングの本を読みあさる。
そして「本当にやりたいこと」を模索し始める。
自分の中で、
やりたいことは全部やると
決意する。
そう考え始めると同時に 足の具合が回復し始める。
8ヶ月くらいのリハビリの結果
多少の違和感は残るものの 徐々に回復する。(結局違和感がなくなるまでには結局2年かかる)
前から気になっているレザーと天然石のアクセサリーを作り始める。
作っていることを周りにいったらば
買ってくれる人が出始める。
写真を撮ることが好きだったことを思い出し、
習いに行って自分で勉強も始める。
それも周りにいっていくことで、
インテリアのネットショップの写真をとる機会を頂く。
綺麗な写真をとるというよりは
コンセプトにあった写真。
コンセプトにあった空間をゼロからつくり、
インタリア、小物などでコーディネートして
演出して、空間を作り上げて撮影。
バイトや務める以外で
自分でやったことでお金を受け取ることを体感する。
自分の体験を価値として提供することができるのだと認識する。
これまでの経験を価値として提供できることがなにかと
模索し続けた結果
もっともっと一人一人の人生に深く関わって行きたい。
「選択できる」ことの喜び
身の回りのものを心地良い状態にすれば
心も身体もワクワクすることを知ってほしい
そして、最終的には
ちゃんと自分の意思で「選びとって」欲しい。
誰かがいい からそれがいいとか 悪いではなく
あなた自身がいいと思うものを「選んで」欲しいのです
そこまでのプロセスを、提供したい
そして、身の回りの物を全て
お気に入りのもので満たすことで
あなたの生活を常にワクワクした状態で過ごしてほしい
という想いから
個人向けのスタイリストを始める。